火の歳時記

NO94 平成211215




片山由美子

 
  【火の話】第9回 清める


  雨過ぎし夜空に神輿洗の火            高田正子
  祇園会の大路を祓ひゆく炎            高田正子
 
 季節はずれの句で申し訳ないが、儀式において、火は清浄なものであることはもちろんだが、穢れたものを清める力をもつものであることに思い至る。
 死んだ人を荼毘に付すというのも、肉体を焼くことで魂を浄化させることができると考えられたからだろう。荼毘は梵語を漢字にあてはめたものである。インドではガンジス川に死者を焼いた灰を撒き、何も遺さない。そうしないと、生まれ変わってまた苦労をしなければならないからだという。ヴァラナスでは、死の近づいた人を川の近くの臨終を待つ宿に運び、家族みんなで死を待つ。そういう風習は日本人にはなかなか理解できないことだが、死にゆく人も家族もあまり悲壮には見えない。ヒンドゥー教の死生観がわれわれとは全く違うからだが、灰が撒かれている傍らで、沐浴したり洗濯したりしている人がいるというのも異様な光景に見える。その川の近くの祠には、つねに火が燃やされているのが印象的だ。
 スリランカのキャンディ市で八月に行われる「ペラヘラ祭」はアジア最大の祭ともいわれ、男たちが火のついたバトンのようなものを回しながら踊る。その昔インドから嫁いできた妃が嫁入りの際に「仏歯」をもってきたといわれ、それがこの地の仏歯寺に収められている。ペラヘラ祭になるとそれを象の背中に乗せて街中を練り歩くのである。そしてハイライトともいうべき夜のイヴェントが、男たちの火の踊りなのである。

  火葬塚その身ぎらつく島蜥蜴           松本 旭
  鮎焼くや母なる川をけぶらせて          鷹羽狩行

 タイの水掛祭で知られているソンクランも、祭の初めには火が清めの役割を果たす。水も火も穢れを洗い流すものであることに、ものの根源を見る思いである。
 タイにはロイカトンという、日本の流灯に似た行事もある。これも水と火の祭である。熱気球のような燈籠を空へ飛ばすコム・ローイというものも知られるようになってきた。さまざまな願いや祈りをこめられた火が、夜空に高く上っていく様は美しい。







 (c)yumiko katayama

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