神々の歳時記     小池淳一  
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2010年9月1日
【51】二百十日と風切りの鎌

 立春から数えて二百十日目の頃には、強い風が吹くことがあり、海に出て漁ををするものはもちろん、山野での作業にも心配りが必要である、というのは長い生活経験の積み重ねから導き出された知恵である。
 秋田県雄勝郡雄勝町役内では、この頃に吹く風を恐れ、風よけのために棒に鎌を縛り付けたものを玄関に立てて「風切り」のまじないとした(東京女子大学民俗調査団『雄勝役内の民俗』、一九七六年)。鎌の草木を切る機能が、風に対しても応用されたと言えるだろう。鎌を農作業に用いるのではなく、自然に対抗する呪術に用いるこうした信仰は各地に見いだせるが、近年では忘れ去られた地域も多い。
 この風に対抗する鎌の観念を神社信仰が取り込み、神事として洗練させていった例として能登半島における諏訪信仰をあげることができる。この問題を長年にわたって丁寧に追跡してきた小倉学の「能登半島における諏訪信仰―鎌打ち神事を中心として―」(『加能民俗研究』二二号、一九九一年)は、能登における諏訪信仰の特色をよく伝えている。それによると、諏訪信仰は長野県諏訪湖畔に鎮座する諏訪大社の上社と下社とがその中心であるが、中世以降各地に広がり、それぞれの土地に見合った展開を遂げている。そのなかでも能登では、比較的古いかたちをごく最近まで伝えていた。それは、この信仰においては本殿にあたるものはもともとなく、山や巨大な樹木を神体として仰ぐという神社の存在形態によく表れていた。それとともに、具体的な祭祀の面では、二百十日の直前、八月二十七日に諏訪神社の神木に鎌を打ち込むというかたちで長く伝えられてきたのである。この鎌は毎年特別に調整されるもので、神体に近い扱いを受けてきた。
 とりわけ、石川県七尾市江泊町日室の諏訪神社は、通称、鎌宮とも呼ばれることからも分かるように、鎌を打ち込む神事が、毎年厳粛に行われてきた。この社の霊域には二本のタブノキがあり、そこに神職が風鎮の意味を込めた祝詞をあげたあと、鎌を幹に打ち込むのである。この神事に関して小倉学は、鎌は諏訪の神のシンボルであり、そうすることで風や波を鎮める諏訪の神の霊威が更新されると考えられていたのであろう、と推定している。鎌に象徴される風を制御する力が諏訪の神に備わっているととらえられていたのである。
 風に対抗する力を「切る」という行為を通して鎌に昇華させ、神として祀り、継続していくという民俗的な思考を、こうした信仰から読みとることができる。
 また、この時期に稲のあるうちに吹く風を「イナバの風」といい、山形県鶴岡市大谷あたりでは、ふだんは家屋のなかで祀っているオクナイ様に一つ身の着物を着せ、老婆が背に負って村の中を一軒一軒回って歩く習慣がかつてはあった(東京女子大学史学科郷土調査団『庄内大谷の民俗』、一九六五年)。オクナイ様はこの地域の旧家に祀られる民俗神で、青森や岩手あたりのオシラ様とよく似た存在である。祀っている家の繁栄をつかさどるとされることから、稲の出来不出来にもこの神の影響が及ぶと考えたのであろうか。
 二百十日前後は春先からの農事が完了する最後の段階にあたり、それだけにさまざまな神事や行事が行われる。そこには、この秋の時期に風雨に見まわれることの多い日本列島で生活を営んできた人々の願いが凝縮しているのである。

   恙なき二百十日の入日かな   伊藤松宇

 

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