「絆」―家族で楽しむファミリー句会 第4回

実施日:2008年4月2日 場所:鬼怒川



 こんにちは、佐怒賀家です。春休みを利用して、4月2日・3日の1泊2日で鬼怒川へ行ってきました。残念ながら、部活動(サッカー)に熱中している筑美は練習のため、今回は留守番をすることになりました。
 我が家からは東北道を利用すると鬼怒川までは2時間足らずで着いてしまいますので、ちょっと出掛けてくるといった、気楽な旅行でした。
 のんびりとした旅程は、東北道を栃木インターで降り出流山満願寺へ。ほとんど人のいない寺域を3人でゆっくりと心行くまで散策しました。あとは一路鬼怒川へ。早めにホテルに入り、私は近場を2時間ほど散歩、由美子と琴美はホテル内でくつろいでいました。句会は、夕食を済ませてから。結果は次の通りです。
 
 仁王像ずんぐりとして楓萌ゆ
 発破音聞こゆる山の芽吹きをり
 竹秋の金鼓
(こんく)は低き音たつる
 坂多き湯街の桜咲く構へ
 渓声に平石抛りたる春愁
 三度目は大き輪となり春の鳶           直美
(通称:おとう)

 のどけしや大吉みくじふところに
 仁王像の頭でつかち花の昼
 春光や後ろ姿の観世音
 著莪の葉の春光はねかへして絶壁
 一つ一つ石段下りて山笑ふ
 花時の祠傾いで奥之院
 あ・うんの真似して山門に立つ四温
 創造の神を味方につけ春昼            由美子
(通称:ままい)

 春の仁王の見下ろす場所に母と立つ
 春うらら三人そろってくじをひく
 上見れば春陽
(はるひ)に杉が顔寄せて
 奥歯生ゆ春の旅行は一泊二日           琴美
(通称:ねね)
    

 選句はそれぞれの作品から好きなものに印をつけました。 結果は次の通りです。

  直美選  ◎一つ一つ石段下りて山笑ふ       由美子
       ○著莪の葉の春光はねかへして絶壁    由美子
       ○花時の祠傾いで奥之院         由美子
       ◎春の仁王の見下ろす場所に母と立つ    琴美
       ○春うらら三人そろってくじをひく     琴美
       ○奥歯生ゆ春の旅行は一泊二日       琴美

  由美子選 ◎渓声に平石抛りたる春愁         直美
       ○発破音聞こゆる山の芽吹きをり      直美
       ○坂多き湯街の桜咲く構へ         直美
       ○春の仁王の見下ろす場所に母と立つ    琴美
       ○奥歯生ゆ春の旅行は一泊二日       琴美

  琴美選  ◎坂多き湯街の桜咲く構へ         直美
       ○発破音聞こゆる山の芽吹きをり      直美
       ◎一つ一つ石段下りて山笑ふ       由美子
       ○のどけしや大吉みくじふところに    由美子
       ○春光や後ろ姿の観世音         由美子
 
 選句の後の意見交換は次のようでした。
 まずは、ねねの句についてです。

★今回のねねは、季語がよく分からなくて苦労したようでしたが、「春の仁王の」の句は、「仁王の見下ろす場所」に「母と立つ」という組み合わせが面白いかなと思いました。もう一句は、「奥歯」の生えたのと「一泊二日」の旅には何の関係もないんだけれど、そこが微妙に響きあっているように感じて取りました。(ままい)

☆おとうも、おなじような句を取りました。一番面白いなと思ったのは、やっぱり「春の仁王の」の句で、具体的な様子を伝えているし、「母と“二人で”立つ」という温かさと、「春の仁王」が合っているのかな。「春うらら」の句は、本当は「くじをひく」よりは「みくじひく」としたほうが「を」もなくなるし、「おみくじ」だというのもはっきりするし、そのほうがいいのかな。でも、この句も「三人そろって」が「春うらら」に合ってるよね。(おとう)

★「みくじ」って言葉が出てこなくって、「おみくじ」だと字余りになっちゃうし、で、「くじ」にしたわけ。(ねね)

☆「奥歯生ゆ」も、なんだかわからないけど「一泊二日」が面白いよね。(おとう)

★本当に奥歯がむずむずしてて…。(ねね)

☆「上見れば」の句は、いわゆる擬人法なんだろうけれど、擬人法ってなかなか難しくて、初めのうちはできるだけ実景をそのまま詠んだ方がいいね。例えば、「顔寄せて」じゃなくって、「秀(ほ)を寄せて」とか「梢(すえ)寄せて」とか。それと、「上見れば」は本当はいらないよね。「春陽に杉が顔寄せて」だけで、上を見ているのは分かるもんね。(おとう)

★でも、ぱっと見たらそうなってたってのが言いたかったんだよね。もう一度考えよう。(ねね)

 次は、ままいの句です。

★最初に取ったのは「一つ一つ石段下りて山笑ふ」です。「山笑ふ」という季語が気に入ったのと、一段一段石段を下りているままいを山が見てほほえんでいるような、何かほのぼのとしたものを感じて、春の雰囲気がよく出ていると思ったからです。「春光や後ろ姿の観世音」は、ねねもこういう感じの句を作りたかったということもあり、雰囲気も好きで取りました。「のどけしや大吉みくじふところに」は、ねねもおみくじの句を作ったし、あんまり春の季語を知らないので、「のどけしや」という季語に惹かれたところもあります。(ねね)

☆おとうも「一つ一つ石段下りて山笑ふ」を取りました。「山笑ふ」っていうのは山が笑ってるわけじゃなくて、山の木々が芽吹き始めた明るい様子をいう季語で、秋なら「山装ふ」、冬なら「山眠る」なんて季語もあるんだけど、この句の「山笑ふ」は、ねねの言ったように、山がほほえんで見ているようにも感じられるね。「一つ一つ」がいいのかな。作者の様子が見えてくるよね。(おとう)

★春の山の感じって「山踊る」なんてのもどうかな。(ねね)

★うん、そんな感じもする。意外にいいかも。(ままい)

☆「著莪の葉の春光はねかへして絶壁」っていうのは、「絶壁」を持ってきたところが面白いのかな。情景も見えてくるし、全力で生きてるっていう著莪の力強さも感じられるしね。(おとう)

★「しゃが」って読むんだ。なんだか字がくしゃくしゃしてたんでよくわかんなかった。わかってれば取ったのに。(ねね)

☆「花時の祠傾いで奥之院」も、実景を上手く表現していていいんじゃないかな。いかにも「満願寺」の「奥之院」って感じだよね。「のどけしや大吉みくじふところに」は、「のどけし」も「大吉」も「ふところ」も、みんな同じような感じを持っている言葉だから少し損をしてるのかもしれない。「仁王像の頭でつかち花の昼」は、句としては悪くないんだけど、満願寺には「花の昼」っていうほど桜が咲いてなかったような気がしたので取りませんでした。「花三分」くらいじゃなかったかな。「花の昼」っていうと、イメージとしては満開の感じがするよね。「春光や後ろ姿の観世音」てのも句としてはいいんじゃないかな。でもこのままだと、満願寺の鍾乳石の観世音がわからないと、何だか夢にでも出てきた観音様みたいになってしまうかもしれない。このままなら前書きが必要かも。(おとう)

★鍾乳石の観音様は洞窟の中だったけど、「春光」でもいいのかな。(ねね)

☆そういえばそうかも。電気を点けて見たんだから本当は「春灯」なのかも。でも、「春灯」だと夕方から夜のイメージになってしまうし、作者の感覚としては「春光」だったんだろうね。(おとう)

★「春の風」かなんかにしようかとも思ったんだけど、季語がなかなかみつからなくて…。(ままい)

☆それから、「あ・うんの真似して山門に立つ四温」ってとっても面白いんだけど、「四温」は冬の季語だよね。「三寒四温」って、「冬の間、三日寒い日が続くと、あと四日暖かい日がある」っていう意味で、もともとは華北や満州・韓国の方の言葉だったようだよ。(おとう)

★ねねもこういう句を作ろうとしたんだけど、なかなか上手くいかなかったんだよ。ままいの「あ」の口真似につられてねねもしちゃったっていうのを作りたかったんだけど、多すぎて入りきらなかったんだ。いっそ短歌にしちゃおうかって思ったけどね…。(ねね)

☆「創造の神を味方につけ春昼」ってのは、面白そうなんだけど、よくわからなかったかな。(おとう)

★ねねはこういう句は好きなんだけど、今日のはちょっと取れなかった。何だか「森羅万象チョコ」みたい…。(ねね)
 ※「森羅万象チョコ」…カードゲームの入ったチョコ菓子。いろいろな神様のカードが入っている。
 
   

 最後におとうの句です。

★ねねは「坂多き湯街の桜咲く構へ」を取りました。「桜咲く構へ」のところが、ただ「桜がもうすぐ咲くよ」って言っちゃうんじゃなくて、今にも咲きそうな様子がよくわかったのと、いつもながら「湯街」なんていう言葉の使い方とか、「坂多き」とかいう捉え方がいいなって思いました。「発破音聞こゆる山の芽吹きをり」は、「発破音」なんてのを俳句にするところが、なかなやるなあと…、あと、「発破」という破壊的なものと「芽吹き」という対照的なものをとりあわせたところに、なにか深いものをかんじました。ままいが取った「渓声に平石抛りたる春愁」も語呂的には好きだったんだけれど、ねねにはよくわかんなかった。(ねね)

★今の「渓声に平石抛りたる春愁」を取りました。これはさっき一人で散歩しに行った時の句だと思うんですが、川音に向かって石を投げたっていうのが、非常にありそうだけれど、言葉のまとめ方が上手いなあと思って、二つ丸にしました。(ままい)

★おとうは本当に石を投げたの。一人で投げてたら変な人だよ。(ねね)

☆変な人でも投げちゃったからしょうがないね。(おとう)

★「坂多き湯街の桜咲く構へ」は、ねねとまったく同じ感じです。「桜咲く構へ」がよかったと思いました。それから「発破音」の句については、あああれを句にしたかっていうところで取ったんですけれど、あまり詩的ではなくて、社会的っていうのか、そんな感じになりがちで、私としてはあんまり俳句になる材料ではないのかなって思いました。「仁王像ずんぐりとして楓萌ゆ」は、自分も仁王像の句を使ったのでああ同じところだなあって思って、ただそれだけでした。それから「竹秋の」句の「金鼓」って何。(ままい)

☆「鰐口」と同じように考えていいのかな。満願寺の本殿の前に下がってたあの平べったい銅鑼を重ねたみたいなやつ。お寺の場合が多いのかな。(おとう)

★ああ、そうなんだ。お参りするときに紐で叩いたやつね。でも、低い音じゃなかったからだめだ。そうじゃないかなって思ったんだけど、「竹秋の」とそんなに合ってるかが微妙だったので。(ままい)

★ねねは、軽い感じの音に聞こえた。それに、「竹」とか「鐘」って言うと、なんか中国みたいな感じがして、俳句っていうより漢詩みたいな感じがした。(ねね)

★「三度目は大き輪となり春の鳶」っていうのは、なんか聞いたことがあるような、おとうは「三度目」とか「輪」っていうのをよく使うし、この材料はやや使い古しかなって感じがしました。(ままい)

 以上、終了は21:30でした。
 翌日は、ゆっくりとホテルを出発し、鬼怒川温泉ロープウェイに乗り丸山山頂へ。小さな温泉神社にお参りし、おさるの山で猿と戯れ、龍王峡へ向かいました。龍王峡も観光客はまばらで、実にのんびりと渓谷沿いの自然研究路を散策することが出来ました。途中、水芭蕉や座禅草、片栗の花、そしてモリアオガエルの卵など、たくさんの春とも出会うことの出来た、素敵な一日でした。

 さて、次回はどうなりますことやら。四人そろった句会になればいいのですが。
 それではまた。
    
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