「絆」―家族で楽しむファミリー句会 第20回

実施日 2010年7月30日 場所 自宅



こんにちは、佐怒賀家です。まだまだ残暑の厳しい日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今回は、7月の末、義父の三回忌を前に琴美が帰って来たのを機に強引に開いた家族句会をご報告いたします(何かとバタバタとしており、あっという間に一ト月が経ってしまいました。)
午後9時過ぎより作句開始。午後10時より1時間半余りの句会になりました。
こんな句が出されました。
   

 下宿より()が来てゴーヤ種こぼす            
 義父(ちち)の忌来ゴーヤは()さき尻曲げて
 鬼百合のひよろりと伸びて忌日来る
 烏合とはこの烏らぞ大暑過ぐ
 七月の朝顔こつち向いて青
 槌音の乾けば百日紅(さるすべり)満開
 我が影を日照雨(そばえ)に濡らす露伴の忌          直美(通称:おとう)

 丹念に顔洗ふ猫朝より暑          
 たくらみも正義あふるる夏あかつき
 握り飯に胡麻塩振つて大暑なり
 ラジオ体操腕振り回したる極暑
 アパートの出窓夜涼の植木鉢
 適当に生きて四角い扇風機
 勢ひよくモップ走らせ梅雨明くる
 打算とは向日葵の茎短く切る           由美子(通称:ままい) 

 夕立に向かうペダルを強く踏む
 右に半分寝返りうって夏の空
 秒針のくるいて夏の夜はゆく
 雷音を体の奥の奥で聞く
 猛暑日のコップら流しにころがって
 三十度日影に猫の開きあり
 南風我アパートに吹きだまる
 初運転止まった先に雲の峰             琴美(通称:ねね)

 ジーンズを五回まくって夏は行く
 夏の夜の三毛猫の目はまんまるで
 紙飛ばすいたずらものの扇風機
 姉と見たはっぱに隠れた花火かな
 片付けぬ七夕かざりにひっかかる
 夏の日にタオル片手にペダルこぐ
 前カゴに予備のタオルをいれる夏
 風当たるソファーは父の指定席
 寝てる父つられて眠り夏終わる           筑美(通称:つう)
 


 選句はそれぞれの作品から好きなものに印をつけました。結果は次の通りです。

  直美選  ◎握り飯に胡麻塩振つて大暑なり     由美子
       ○丹念に顔洗ふ猫朝より暑        由美子
       ○適当に生きて四角い扇風機       由美子
       ◎右に半分寝返りうって夏の空       琴美
       ○雷音を体の奥の奥で聞く         琴美
       ○猛暑日のコップら流しにころがって    琴美
       ○初運転止まった先に雲の峰        琴美
       ◎ジーンズを五回まくって夏は行く     筑美
       ○夏の夜の三毛猫の目はまんまるで     筑美
       ○前カゴに予備のタオルをいれる夏     筑美

  由美子選 ◎烏合とはこの烏らぞ大暑過ぐ       直美
       ○下宿より娘が来てゴーヤ種こぼす     直美
       ○鬼百合のひよろりと伸びて忌日来る    直美
       ◎右に半分寝返りうって夏の空       琴美
       ○夕立に向かうペダルを強く踏む      琴美
       ○秒針のくるいて夏の夜はゆく       琴美
       ◎前カゴに予備のタオルをいれる夏     筑美
       ○ジーンズを五回まくって夏は行く     筑美
       ○寝てる父つかれて眠り夏終わる      筑美

  琴美選  ◎烏合とはこの烏らぞ大暑過ぐ       直美
       ○義父の忌来ゴーヤは小さき尻曲げて    直美
       ◎適当に生きて四角い扇風機       由美子
       ○打算とは向日葵の茎短く切る      由美子
       ◎ジーンズを五回まくって夏は行く     筑美
       ○片付けぬ七夕かざりにひっかかる     筑美

  筑美選  ◎鬼百合のひよろりと伸びて忌日来る    直美
       ○烏合とはこの烏らぞ大暑過ぐ       直美
       ◎丹念に顔洗ふ猫朝より暑        由美子
       ○握り飯に胡麻塩振つて大暑なり     由美子
       ◎猛暑日のコップら流しにころがって    琴美
       ○右に半分寝返りうって夏の空       琴美


    

 選句の後は、それぞれの句について、みんなで意見交換をしました。

 まずは筑美の句についての選評です。

☆ねねは「ジーンズを五回まくって夏は行く」を一番にとりました。たぶん本当に5回くらい捲っているんだろうけど、5回だと捲り過ぎって感じもするかな。でも、暑いからいっぱい捲ってるっていうのがよく分かると思いました。でも、それだと「夏は行く」じゃない方がいいのかな。「夏は行く」だと、もう秋になるっていうことだよね。(ねね)

★夏が終わるってことだよね。(おとう)


☆うーん、でもまあいいか。リズムもいいし、夏っぽい感じもいいし、好きな句でした。もう一句は、本当は「風当たるソファーは父の指定席」をとりたかったんですけれど、これは季語がありますか? (ねね)

★あっ、そうだ。季語がないや。最初は「クーラー」を入れるつもりだったんだけど、「風当たる」にしちゃったんだ。(つう)

☆感じは良かったんだけど、やっぱり季語がないとね。それで「片付けぬ七夕かざりにひっかかる」をとったんだけど、これは何かほのぼのとしてるかなって思いました。
(ねね)

★ただ、季語としての「七夕」はこれからだから、この「片付けぬ」はそういう意味では違うのかな。(おとう)

    

★それじゃあ、終わってからの句っていうことで…(笑)。(つう)

☆でも、コミカルな感じもして、面白いんじゃないかと思いました。それと、おとうとままいがとっている「前カゴに予備のタオルをいれる夏」なんだけど、ねねには「予備のタオルをいれる」っていうのがすごく説明的に感じたのでとりませんでした。(ねね)

☆ままいは、その「前カゴに予備のタオルをいれる夏」をとりました。「前カゴ」で自転車っていうのがわかるし、「暑いからタオルをいっぱい持ってかなくちゃ」っていうのが「予備のタオル」なんだと思うし、それを「いれる」っていう一つの動作しか言っていないので、「予備の」が説明的って言われればそうかもしれないけれど、それくらいいいんじゃないかなって、それほど感じませんでした。次は「ジーンズを五回まくって夏は行く」ですが、「5回」が多いか少ないかは何とも言えませんが…。(ままい)

★「3回」にしようかなとも思ったんだけど、それだと普通かなって思って、それなら思い切って捲っておこうと思って…。(つう)

☆ままいは、そのやたらと捲ったところは、若い感じもして良かったと思います。あとは、ねねのとった「片付けぬ七夕かざりにひっかかる」は、確かに今だと「片付けぬ」は違うかなって、さっきの話を聞きながら思いましたが、句としては面白いかなって思います。「姉と見たはっぱに隠れた花火かな」は、ままいは状況が全部分かっているので分かりましたが、これだと打ち上げ花火だとは思えないよね。(ままい)

☆なんか葉っぱの下に花火が落ちてるみたい…(笑)。「木」とかにすれば分かったんじゃないかな。(ねね)

☆そうだね、そうすれば分かるかな。発想は面白いんだけど、ちょっと分からなかったかなってとこかな。それと「寝てる父つかれて眠り夏終わる」は、それほど高い評価ではないかもしれないけど、けだるい様子がわかるかなって思って…。(ままい)

★隣のカットも良かった(笑)? (つう)

☆うん。隣のカットに引かれたのかも知れないね(笑)。(ままい)

★おとうがとったのは「ジーンズを五回まくって夏は行く」で、つうのこの中では一番好きな句です。やっぱり「5回」は捲り過ぎかな。実際に考えると、ジーンズって生地が厚いイメージだから、だいぶごわごわした感じになっちゃうよね。(おとう)

☆「3回」だとつうの句らしくなくて、面白くないけど、5回も捲ったら血が止まりますよって…(笑)。(ねね)

★だから、この句では回数まで言わずに、「ジーンズを捲って」だけでも、あるいは「ジーンズの裾を捲って」くらいでいいんじゃないかな。「ジーンズを捲る」のと「夏は行く」の取り合わせで十分面白いんだから。(おとう)

★ねえねえ、今の話ってさ、句会だと思わずに聞いてたら、家族揃ってジーンズを捲る回数で何を熱くなってんだろって、きっと変に思われるよね(笑)。(つう)

☆馬鹿な家族だよね(一同爆笑)。 (ねね)

★「前カゴに予備のタオルをいれる夏」は、さっきままいも言ってたけど、「予備の」ってのが気になるなあ。(おとう)

★でも、「タオルをいれる」だけだと、多めに持っていってる感が出ないんじゃない? (つう)

☆じゃあ、枚数をいれればいいんじゃない。(ねね)

★また「5枚」(笑)? (つう)

☆「タオル5枚をいれる夏」って…(笑)。 (ねね)

★「前カゴ」に入れるだけでその辺りは出てると思うんだよね。「鞄に入れる」とかとは違うしね。でもその分をどうしようかね。「予備」っていうのは実景じゃなくて説明になっちゃうから、何か実景で言えるといいんだけど。「白いタオル」とかじゃ当たり前だしね。後でじっくり考えてみようか。次の「夏の夜の三毛猫の目はまんまるで」は、これは実景そのままを詠んでるからいいんじゃないかな。これを「驚いて」なんて言っちゃうと駄目ってことだよ。(おとう)

★でも、これってありそうな句じゃない?(つう)

★それはあるよね。でも、実際に自分で見て、感じて作ったんだから、これはこれでいいんじゃないかな。(おとう)

    

★「紙飛ばすいたずらものの扇風機」は「いたずらものの」が説明だし、発想が幼いよね。小学生だったらいい句なんだけど…。「神を何枚飛ばす」とか…。(おとう)

★また「5枚」(笑)? (つう)

★枚数じゃなくても、「何かのメモ」でもいいし、「方程式の書かれた紙」とかにすれば、一生懸命に勉強してるのを邪魔されたみたいな感じも伝えられるよね。(おとう)

★「姉と見たはっぱに隠れた花火かな」はままいが言った通りかな。でも、「花火」じゃなくて「遠花火」にすれば、このままでも分かるようにはなるけどね。(おとう)

★「遠花火」って何? (つう)

★すぐ目の前で見る花火じゃなくて、遠いところに揚がっている花火のことで、音と光がずれてたり、あるいは音がほとんど聞こえなかったり、また目の前の花火とは違った面白さがあるよね。それと、俳句はその時を切り取ればいいんだから、「姉と見た」って過去形にすることはないよね。今作っても、その時のことを詠めばいいわけだから、「姉と見る」でいいんだよ。「片付けぬ七夕かざりにひっかかる」はさっき言ったね。「七夕かざりにひっかかる」は面白いから、あとは具体的に、飾りの何にひっかかったのかとか、体のどこがひっかかったのかとか、そういうところを言ってあげればいいんじゃないかな。「夏の日にタオル片手にペダルこぐ」ってのは、素直でいいんだけど「に」が二つあるのが気になるかな。「夏の日の」でいいんじゃないかな。「風当たるソファーは父の指定席」はねねの言ったように季語がないよね。「指定席」まで言わなくても「父の席」で分かるから、その分で季語が入れられるよね。「寝てる父つかれて眠り夏終わる」は、面白そうなんだけど…。(おとう)

☆この「つかれて眠る」のは誰なの? (ねね)

★「つかれて」じゃなくて「つられて」だよ。(つう)

☆ええっ、そうなの…。あっ、本当だ。(おとう・ままい・ねね)

★おとうにつられてつうが眠るってこと。(つう)

★今ねねが間違って読んだように、この句はちょっと分かりずらいよね。それは、作者は「寝てる父」の後に「に」を考えて作ったんどろうけれど、読み手にはその「に」がわからないから、「寝てる」と「眠り」の主体を同じ人と感じて「が」を入れて読んでしまうから、「つかれて」って読み間違えてしまうんだろうね。つうは、横になっていたおとうに「つられて」自分もそのまま眠ってしまったことを詠みたかったんだろうけど、それが上手く伝わらなかったんだ。字余りでも「寝てる父に」としないと上手く伝わらないよね。あるいは「寝る父に」でもいいよね。(おとう)


 続いて琴美の句についてです。

★つうが選んだのは「猛暑日のコップら流しにころがって」で、「コップら」で、暑いからコップをたくさん使って、洗ってないのが流しに転がってるのが良くわかったので、これを一番にとりました。もう一つは「右に半分寝返りうって夏の空」で、おとうもままいも一番にとってるので、これはもうとるしかない(笑)と思ってとっちゃいました。そんなにすごいのかなって…(笑)。(つう)

★そりゃあ反則だね(一同笑)。(おとう)

★でも、スッとした感じはしたんだよ。何となく整ってるみたいな…。あと、「初運転止まった先に雲の峰」は季語があるの?(つう)

★「雲の峰」が夏の季語だよ。「入道雲」のことだよ。(おとう)

★それが分かんなかったからとらなかったけど、これもいいなと思いました。「雷音を体の奥の奥で聞く」っていうのも、「奥の奥で聞く」が面白かったと思いました。(つう)

★「雷音」っていうのがちょっとね。(おとう)

☆そうだね。「雷鳴」ってすれば良かったかな。(ねね)

★そうすると良い句になったのにね。(おとう)

☆ままいは、つうが圧倒されたっていう「右に半分寝返りうって夏の空」をとりました。でも、半分だけ寝返りをうったとか、ちょっと具体的で良げな感じがしてしまうところが、作っちゃってるってところかもしれないなあって感じはしたんだけど、「夏の空」で夏休みの感じも出てて良かったんじゃないかな。「夕立に向かうペダルを強く踏む」は、類型感はあるかもしれないけど、エイっていうねねの気持が素直に出ているかなって思いました。「秒針のくるいて夏の夜はゆく」は、なんで秒針なのかなって良く分かんなかったけど、取り合わせが面白いかなって思いました。「猛暑日の」は、やっぱり「コップら」が嫌だった。なんで「コップら」なのかな?(ままい)

☆コップが一杯あるのを言いたかったんだけど、「流しにころがって」って言っちゃうとそれが言えなかったんで…。(ねね)

☆流しに転がってると、それだけでも何かガランゴロンって複数の感じがするけどね。「ら」の一文字だけで、この句はとれませんでした。あと、「南風我アパートに吹きだまる」は、「我」じゃなくて「我が」だよね。これだとねねが吹きだまってることになっちゃうよ(笑)。(ままい)

☆「我が」のつもりだったんだけどね。(ねね)

★それでも「我が」がいらないんだよね。基本的には作者が一人称で作るものだから、これが友だちのアパートなら「友のアパート」って言わなくちゃダメだけど、自分のアパートだったら「我が」はいらないよね。(おとう)

☆あと、「三十度」の句は季語がないよね。それに「猫のひらき」って「鰺の開き」みたいで…(笑)。(ままい)

★「猫の開き」って怖い(笑)。(つう)

★情景はわかるけれど、表現としてはダメだってことだね。(おとう)

☆俳諧味のある表現っていうのもあるんだろうけど、これだと行き過ぎってことかな。(ままい)

★おとうもままいと一緒で、「右に半分寝返りうって夏の空」をとりました。この句は具体性があって、昼寝でもしていた時の様子が素直に表現されてると思いました。それから「雷鳴」になっていればもっと良かったんだけど、「雷音を体の奥の奥で聞く」も、「体の奥の奥で聞く」っていうのが独自の感覚でいいんじゃないかな。「猛暑日の」は、おとうも「ら」がなければ特選にとったんじゃないかな。「ころがって」でも複数が分かるって言ってたけど、「猛暑日」でもそれが十分に想像出来るよね。それから「初運転止まった先に雲の峰」は、「初運転」がいいんじゃないかな。その緊張感とか、止まってホッとした安堵感とかと、「雲の峰」が上手く響きあってる気がするよ。「夕立に向かうペダルを強く踏む」は「夕立に向かい」の方が、一回軽く切れていいんじゃないかな。「秒針のくるいて夏の夜はゆく」は、考えてみると、最近の時計って正確だから分針なんかはあまり狂わないかもしれないよね。そう考えると結構面白いかもしれないね。(おとう)

☆本当は、秒針が壊れてて、動かずにその場で少しだけ揺れてるのを言いたかったんだけど…。(ねね)

★「三十度日影に猫の開きあり」は、やっぱり季語のあるなしよりも「猫のひらき」だけでダメかな。「南風我アパートに吹きだまる」は、さっき言ったように「我」がいらないから、作り直してみるといいね。「南風」は、「なんぷう」とか、「みなみ」とか、「はえ」なんて言い方もあるからね。(おとう)


 それでは、ままいの句についてです。

★つうがとったのは「丹念に顔洗ふ猫朝より暑」で、「朝より暑」っていう言い方がちょっと気になったけど、ミケが顔を洗ってる朝の感じが良く出てると思ったのでとりました。「握り飯に胡麻塩振つて大暑なり」は、これはつうのお弁当のお握りだと思ったのでとっちゃいましたね(笑)。(つう)

☆いつもどうもってな感じで…。(ままい)

★それをわざわざ俳句にしていただいてありがとうございますってことで(笑)…。あとの句は何だか難しくって…。「適当に生きて四角い扇風機」って、扇風機が生きてるの?(つう)

☆ままいが適当に生きてて、そこに扇風機があるってこと。(ままい)

★ああそうか、なら分かるけど…。(つう)

☆ねねはその「適当に生きて四角い扇風機」を一番にとりました。確かにねねも最初に読んだ時は、扇風機が生きてるのかなって思ったけど、本当はそうじゃないんだけれど、ままいが適当に生きてるって思ってて、目の前に四角い扇風機が回ってる様子が面白かった。適当って言うとくにゃくにゃした感じで、それと四角のきちっとした感じが上手く響いていると思いました。「四角い扇風機」っていう言葉そのものも面白いと思いました。次は「打算とは向日葵の茎短く切る」で、これは「打算」と「向日葵の茎短く切る」の取り合わせが面白いと思いました。「たくらみも正義あふるる夏あかつき」は、「たくらみも正義あふるる」っていうのが良く分かんなかった。「握り飯に胡麻塩振つて大暑なり」は、「胡麻塩」が何か夏っぽくて良かったけど他の方が良かったからとりませんでした。「アパートの出窓夜涼の植木鉢」は、たぶんねねのアパートの出窓の句だと思うんだけど、これも別に嫌いではなかった。(ねね)

  

★おとうは「握り飯に胡麻塩振つて大暑なり」を一番にとりました。ちょっと類型感があるけど、句としては一番しっかり出来てたかなと思いました。「丹念に顔洗ふ猫朝より暑」は、「朝より暑」ってのは、いわゆる「橘」調なわけだけど、まあ実景をしっかり捉えてるのかなと思いました。「適当に生きて四角い扇風機」はとったんだけど、この「四角い扇風機」って分かるのかな。面白い表現なんだけど、四角い扇風機っていうと、いわゆる丸い扇風機のあの羽根の所が四角いように思われちゃうんじゃないかな。これ(目の前にあった送風扇)は四角い扇風機じゃないよね。(おとう)

☆そう言われると確かに扇風機ではないのかな。(ねね)

★広く言えば扇風機かもしれないけど、一般的なイメージとしての扇風機ではないよね。(おとう)

☆「四角い扇風機」でも分かるんじゃないうかな。(ねね)

★おとうたちはこれを見てるから違和感がないけど、やっぱり四角い顔を振ってる扇風機が浮かんじゃうんじゃないかな。「たくらみも正義あふるる夏あかつき」は、ねねが言ったように「たくらみも正義あふるる」が分かんないよな。何かを企んではいるんだけど、その企みは正義感あふれるものなんだってことなの。(おとう)

☆ねねが思ったのは、ままいが朝の内にあれもやろうこれもやろうって、洗濯したり、ゴミ出ししたり、そういったのが企みで、それはままいの私利私欲のためじゃあないってことなのかと思ったけど。(ねね)

☆夏じゃなくてもいいんだけど、ままいはさあ、明け方は元気がいいからいろんなことを、ああ「くわだて」?、「たくらみ」っていうと何か悪いことみたいだよね。とにかくいろんなことをやりたくなっちゃうってことなんだけど…。でもとにかくダメだよね。(ままい)

★「ラジオ体操腕振り回したる極暑」は、「極暑」の季語が効いてないんじゃないかな。「アパートの出窓夜涼の植木鉢」は悪くはないんだけど、どうも「夜涼」が響きの上からもしっくりしないかな。「勢ひよくモップ走らせ梅雨明くる」は、「勢ひよくモップ走らせ」までは面白いんで、あとは季語の問題かな。上五・中七に動きがあるんで、季語は「明ける」とか動きのない方がいいのかもしれないね。「打算とは向日葵の茎短く切る」は、「打算とは」が良く分かんなかったな。「向日葵の茎短く切る」は面白いんだけど…。(おとう)
    

最後はおとうの句についてです。

    

★まず「下宿より娘が来てゴーヤ種こぼす」とか「義父の忌来ゴーヤは小さき尻曲げて」とか、つうもゴーヤの句を作りたかったんだけど、二つとも何だかごちゃごちゃしていて好きじゃなかった。「鬼百合のひよろりと伸びて忌日来る」は、「ひよろり」っていうのと「忌日来る」がいい感じかなって思いました。「烏合とはこの烏らぞ大暑過ぐ」っていうのは、つうとおとうが家に帰ってきた時に烏がいっぱい集まってて、それを早速作ったのはすごいなと思いました。「槌音の乾けば百日紅満開」は「槌音」が良く分かんなかった。(つう)

★「槌音」って「材木を槌で叩く音」のことで、その道路の向うで今家を建ててるじゃない。その音のことを言ったんだよ。(おとう)

★「七月の朝顔こつち向いて青」は、「こつち向いて青」が何だか嫌だな。それから、「我が影を日照雨に濡らす露伴の忌」はもう何だかわけが分かんない。分かったのは「我が影」だけだもんね(笑)。(つう)

★「日照雨」って教えたじゃない。日が照っているのに降ってる雨のことだよ。(おとう)

★ああ、そうだったっけ。忘れちゃったよ(笑)。でも「露伴」て何よ。ちょっとやり過ぎ(笑)…。(つう)

☆ねねは、つうと同じように「烏合とはこの烏らぞ大暑過ぐ」を一番にとりました。すごく分かりやすかったのと、集まってる烏の黒さと「大暑過ぐ」が合ってるように感じました。あと、「烏合とはこの烏らぞ」っていう言い方が、言葉遊び的で面白いと思いました。「義父の忌来ゴーヤは小さき尻曲げて」は、ちょっと「義父の忌」を意図的に付けた感じはするんだけど、「小さき尻曲げて」の小ささとか具体的な感じがいいと思いました。「下宿より娘が来てゴーヤ種こぼす」は、「娘」を「むすめ」って読んじゃったので語呂が悪いと思ってとりませんでした。振り仮名を振っておいてくれれば良かったのに…。「鬼百合のひよろりと伸びて忌日来る」は、つうは「ひよろり」が良かったって言ったけど、ねねはその「ひよろり」があんまり好きじゃなかった。何か植物がひょろりと伸びてるのって良くあるなってと思った。「七月の朝顔こつち向いて青」は、「こつち向いて青」のリズムが「こっち向いてホイ」みたいで、おとうの俳句としては軽かったと思いました。「槌音の乾けば百日紅満開」は、「槌音」と「百日紅満開」がそんなに合ってないかなと思いました。「我が影を日照雨に濡らす露伴の忌」は、「日照雨」はこの前おとうが説明してくれたから分かったんだけど、「露伴の忌」との関わりが良く分かんなかった。(ねね)

☆ままいは「烏合とはこの烏らぞ大暑過ぐ」を一番にとりました。何か旭先生の句みたいかもなんて思いましたけど、ちょっと大上段に振りかぶったみたいなところが、その暑さ、暦の上では「大暑」を過ぎてもまだまだ厚いぞみたいな感じで、俳諧味もあるかなって思いました。あとは、ゴーヤが身近にあるので、普通の人がどう感じるかは分からないけど、私にとってはすごく日常的なものとしてのイメージがあるので、だとしたら最初の「下宿より娘が来てゴーヤ種こぼす」の方が、日常の一こまを言い止めたって感じでいいなと思いました。「義父の忌来」の方は、「義父の忌」とあんまり合わないのかな。「鬼百合のひよろりと伸びて忌日来る」は、うちの鬼百合はしっかりしたのがなくって皆ひょろっとしてるから、実感としてはわかるなって思ったんだけど、これも「忌日来る」でいいのかどうか、良くわかりませんでした。「七月の朝顔こつち向いて青」は、何かおどけたつもりなのかもしれないけど、無理があるというか、意識的にふざけてる時はあんまり良くはないので、たまにはこういうのを作りたいのかもしれないけど、おとうにはあまり合わないと思います。「槌音の乾けば百日紅満開」は、別に駄目じゃないけど、特に引かれもしませんでした。「我が影を日照雨に濡らす露伴の忌」は、何だかいろいろ盛り込みすぎかもしれないなって思って、「烏合とは」の句と同じような格調の高さみたいなのはあるんだけど、多少ごちゃごちゃしたのかなって思いました。以上です。(ままい)


★はい、お疲れ様でした。これで「無理やり句会」を終ります。(おとう)

次回はまたまた少々先になるかもしれませんが、またそのうちにお会いいたしましょう。



    






   
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