「絆」―家族で楽しむファミリー句会 第28回

実施日 2012年5月3日(土) 場所 自宅





 こんにちは、佐怒賀家です。
 
 今回も自宅での句会の様子をご報告いたします。
 午後9時00分より作句開始。午後10時30分より1時間余りの句会になりました。
 なお、今回は席題「春驟雨」を出してみました。
 
  黄昏の桜桃青き実を濡らす
  熊蜂の虚空平たくありにけり
  満開の藤満開の影揺らす
  髪型を手櫛で変ふる憲法日
  いまし過ぐる川沿ひの街春驟雨          直美(通称:おとう)


  夏近しレモンキャンディー透きとほる
  野良猫は瞑想の(てい)春驟雨
  逝く春のチャンネル意味もなく変へて
  黄砂降る午後の予定は人まかせ
  たて続けに電話来る八十八夜
  アロマオイル一滴の間も聖五月         由美子(通称:ままい)
 

  別れ霜鴨すれすれを飛んでゆく
  はけるだけ息はいてみる朧月
  菜種梅雨父と同時に欠伸をす
  春驟雨いつも通りに餌をやる
  春雨をまとって猫は突進す
  父の背を借りて句を書く夜半の春         琴美(通称:ねね)


  田んぼ道茶色一色春驟雨
  春驟雨階段覆う思川
  弓撓り風に揺られる糸桜
  思川水面を跳ねる川蝉よ
  春暑しメガネを何度も押し上げて
  春の雨道着をまくり矢取りする
  春の日は足高くしてつめを切る
  春の日の腹から声出す国分寺           筑美(通称:つう) 

  

 結果は次の通りです。


  直美選  ◎夏近しレモンキャンディー透きとほる  由美子
       ○黄砂降る午後の予定は人まかせ     由美子
       ○アロマオイル一滴の間も聖五月     由美子
       ◎はけるだけ息はいてみる朧月       琴美
       ○別れ霜鴨すれすれを飛んでゆく      琴美
       ○春雨をまとって猫は突進す        琴美
       ◎春の日は足高くしてつめを切る      筑美
       ○田んぼ道茶色一色春驟雨         筑美
       ○春暑しメガネを何度も押し上げて     筑美


  由美子選 ◎熊蜂の虚空平たくありにけり       直美
       ○いまし過ぐる川沿ひの街春驟雨      直美
       ◎春雨をまとって猫は突進す        琴美
       ○別れ霜鴨すれすれを飛んでゆく      琴美
       ○父の背を借りて句を書く夜半の春     琴美
       ◎春の日は足高くしてつめを切る      筑美
       ○春暑しメガネを何度も押し上げて     筑美
       ○春の日の腹から声出す国分寺       筑美


  琴美選  ◎熊蜂の虚空平たくありにけり       直美
       ○髪型を手櫛で変ふる憲法日        直美
       ◎野良猫は瞑想の態春驟雨        由美子
       ○夏近しレモンキャンディー透きとほる  由美子
       ◎弓撓り風に揺られる糸桜         筑美
       ○春の日は足高くしてつめを切る      筑美


  筑美選  ◎熊蜂の虚空平たくありにけり       直美
       ○髪型を手櫛で変ふる憲法日        直美
       ◎野良猫は瞑想の態春驟雨        由美子
       ○逝く春のチャンネル意味もなく変へて  由美子
       ◎菜種梅雨父と同時に欠伸をす       琴美
       ○春雨をまとって猫は突進す        琴美




 選句の後はいつものように、それぞれの句について、みんなで意見交換をしました。

 まずは「つう」の句についての選評です。

☆ねねは「弓撓り風に揺られる糸桜」を、きれいな句だなと思って特選にとりました。(ねね)
★「弓道部つう」(註:大学生になったつうは弓道部に入り、張り切っています)の俳句です(笑)。  
☆「弓撓り」で弓道部のつうが思い浮かんで、今はまだかもしれないけど、道着を着て凛として弓を引いている姿と、そこに揺れている「糸桜」の組み合わせが何とも和テイストで合っていると思いました。でも、ねねはつうが弓道部に入っていることを知っているからわかるけれど、「弓撓り」でそれが分かるかどうかは問題かなと思います。「春の日は足高くしてつめを切る」は、だからどうだというわけではないんだけど、だからどうだというわけではないという日常のワンシーンを切り取ったところに惹かれて取りました。「春暑しメガネを何度も押し上げて」も好きだったんだけど、「何度も」だと時間的な経過が含まれちゃって、その場面を切り取るっていうことから考えるとちょっとどうかなって、前におとうがそんなことを言ってたような気がして…、それで取りませんでした。(ねね)
★確かに「二度」とか「三度」って具体的に言った方が引き締まることもあるよね。でも、この句ではこの「何度も」は一瞬のうちの「何度も」だろうから、そんなに気にはならなかったけどね。(おとう)
☆「田んぼ道茶色一色春驟雨」は「茶色一色」があんまり効いてないような感じがして、「春驟雨階段覆う思川」は「階段覆う」が増水したことを具体的に言ったんだとは思うんだけど、ちょっと曖昧で、「思川水面を跳ねる川蝉よ」はねねの中では「川蝉」って跳ねてるイメージではないのと、「思川」と「川蝉」の「川」と「川」がちょっと気になって、「春の雨道着をまくり矢取りする」は可もなく不可もなくといった感じで取りませんでした。「春の日の腹から声出す国分寺」は分かる気もするんだけど、なんで「国分寺」なのかが…。(ねね)
★「国分寺」で弓の稽古をするので、その時のことを詠んでみました。(つう)
☆なるほどね。でもそれを知らないと分からないかもね。(ねね)
☆ままいは「春の日は足高くしてつめを切る」を特選にとりました。理由はねねが言ったように、何でもないことを詠んだところが…。(ままい)
★あんまり考えて作らない方がいいってことかなあ…。(つう)
☆当り前のことなんだけど、でもなんとなく面白いし、ほのぼのしてていいんじゃないかな。(ねね)
★何でもないのをわざわざいうから面白いっていうこともあるよね。でも、日常の一齣がいいっていうと、すぐに「爪を切る」とか「歯を磨く」とかっていうのは良くないって警告する人もいるけれどね。(ままい)
★つうのこの句の場合は「足高くして」がリアルで、そこに青春性があっていいんだよね。(おとう)
☆「春暑しメガネを何度も押し上げて」も素直でいいと思うんだけど、「を」がない方が中七が字余りにならなくてリズムもいいんじゃないかな。「春の日の腹から声出す国分寺」は普通に読むと意味が分からないかもしれないけど、つうが何度も「国分寺」の練習のことを話していたから、ふむふむという感じで取りました。(ままい)
☆これって知らないと、「国分寺」でただ大きな声を出しちゃったっていう句になっちゃうよね(笑)。(ねね)
☆ねねが取った「弓撓り風に揺られる糸桜」は、「弓」も「糸桜」の撓うので、それがいいのかどうか迷うところなんだけど、ままいにはちょっと重なって感じられて…。例えば「糸桜」が撓って揺れるんじゃなくて、散ったくらいの方がいいんじゃないかなって思ったんだけどどうかな。「春驟雨階段覆う思川」は、ねねが言ったので分かったけど、さっきまで何だか分かんなかった。(ままい)
★おとうは「春の日は足高くしてつめを切る」が特選です。さっきも言ったけど、ただ日常を詠むんじゃなくて、「足高くして」がリアルで、そこに青春性があっていいし、「春の日」っていう季語も効いているんじゃないかな。ただ、「春の日は」の「は」は「の」の方がいいかな。「は」っていうと強すぎるっていうか、何か特別な日って感じがして、何気ないある「春の日」だからこそいいんだと思うよ。「田んぼ道茶色一色春驟雨」は実景をしっかりと見て、そして表現しようって意欲が感じられていいんじゃないかな。「田んぼ道」はいつでも「茶色一色」なんだけど、それが「春驟雨」に濡れて、「あっ、茶色だっ!」て思ったんだろうね。それが素直に出てる感じがするな。旭先生(註:「橘」主宰・松本旭先生)も良く挑戦されているけれど、この句は活用語を一つも使ってないんだよね。活用語は説明になりがちだって言われるんだけど、そういう意味でも写生を心がけた句だとも言えるのかな。しかもこれ全部名詞だよね。結構上手く作るのは大変だと思うよ。「春暑しメガネを何度も押し上げて」はままいが言った通りで、「を」はいらないね。ただ「春暑し」の季語が、「暑いから…」っていうように若干説明的に響いてしまうかもしれないね。「春驟雨階段覆う思川」は、その情景はおとうにも分かったんだけど、「階段」っていうよりは「石段」なのかな。(おとう)
★先輩がいつも「階段」って言ってるから…(つう)
★「石段」でも分かりずらいから、「思川」なんて言わずに「土手の石段」って言えばよく分かるよね。「春驟雨土手の石段覆いけり」なんて。(おとう)
☆ねねが「思川」縛りをつうに課したからね。使わせておいて「川・川」してるってねえ…(笑)。(ねね)
★「弓撓り風に揺られる糸桜」はままいが言った通りかな。これなんかつうが弓を引いてるわけだから、「弓引けば」なんてのでいいんじゃないかな。(おとう)
★何か「法隆寺」の句みたい(笑)。(つう)
☆「柿食へば」…(笑)。(ままい)
★その「柿食へば」の「ば」もそうなんだけど、この「ば」は「……したところ偶々……」っていう意味なんだよね。「弓をキッと引いたところ、その一瞬、偶々糸桜が揺れたことよ」っていう句になるわけだ。「思川水面を跳ねる川蝉よ」も「思川」を無理して使うことはないんで、「川蝉」があればもう「川」は分かるからね。(おとう)
★じゃあ、「観光橋」って、橋の方を持ってくるのはどう。(つう)
☆それだとよけいに分からなくなっちゃう。(ままい)
★固有名詞を使うのは難しくて、ピタッと決まってる句はなかなかないよね。(おとう)
★「川蝉」が水切り石みたいにピョンピョンって跳んでたのを詠みたかったんだよね。(つう)
★それなら、「川蝉の水切り石のごとく跳ぶ」なんて、そのままその比喩表現を使っても良かったんじゃないかな。「春の雨道着をまくり矢取りする」は悪くはないんだろうけど、季語がどうなのかな。これも「春の雨」だから…、って感じもしないでもないよね。「春の日の腹から声出す国分寺」は、ねねやままいの言った通りだね。前書きがあれば分かる句なのかな。(おとう)

  

続いては「ねね」の句です。

★特選はすぐに決まって、「菜種梅雨父と同時に欠伸をす」で、何かいい感じだなって思いました。(つう)
★「菜種梅雨」ってのは、「菜の花」が咲く頃の長雨のことだから、本当は1ヶ月くらい前の季語なんだけどね…。(おとう)
☆なんとなく「菜種梅雨」って言葉が使いたかったので…(笑)。(ねね)
★あとはね、今日はあんまりいいのがなかったんだけど、取るとすれば「春雨をまとって猫は突進す」かなって思いました。何か「猫」が出てくると取っちゃうみたいな…(笑)。分かり易かったしね。「別れ霜鴨すれすれを飛んでゆく」は、「別れ霜」がわかんなかったし、「はけるだけ息はいてみる朧月」は、おねえ全開って感じが出過ぎてるし、「春驟雨いつも通りに餌をやる」は、何に「餌をやる」んだろうって…、つうは情景が分かんないとダメなんだよ。「父の背を借りて句を書く夜半の春」は、分かるんだけど、何か取れなかった。以上です。(つう)
☆ままいは、「春雨をまとって猫は突進す」が特選です。何かコミカルなところが良かったです。雨の降っている中、猫がこちらの顔を見ながらタタタターッて走って来る姿が見えるようでした。「別れ霜鴨すれすれを飛んでゆく」は、そのまんまの情景で、ただ、「別れ霜」と「鴨」が…。(ままい)
★「別れ霜」って何?(つう)
★春の季語で、晩春に降る霜のことだよ。「八十八夜の別れ霜」なんていって、今年は5月1日が「八十八夜」だったから、ちょうど今頃の季語だね。(おとう)
☆これが最後の霜だなって、そんな感じだよね。「鴨」も冬の季語なので、そのあたりがちょっと気にはなるけど、でも実景だからいいんじゃないかな。「父の背を借りて句を書く夜半の春」は、ちょっとごちゃごちゃと入りすぎてる気もするんで、「夜半の春」が使いたかったのかもしれないけど、もっと単純な季語の方がよかったのかなと思いました。でも、取り上げようとした素材がいいと思ったので取りました。「はけるだけ息はいてみる朧月」も悪くはないと思うんだけど、あまり惹かれる句ではなかったのかな。「菜種梅雨父と同時に欠伸をす」はそんなにインパクトがなかったのかな、素通りしてしまいました。「春驟雨いつも通りに餌をやる」は、「いつも通り」が分かんないので、どんな感じなのかなってことで、取りませんでした。(ままい)
★おとうは「はけるだけ息はいてみる朧月」が特選です。「朧月」の季語が良く効いているんじゃないかと思いました。この句の場合、「月」だったらやっぱり「朧月」かなって、穏やかに春を迎えた喜びとか、さあやるぞ、みたいな意気込みも感じられていいと思いました。「別れ霜鴨すれすれを飛んでゆく」は、この「すれすれ」がちょっと曖昧な気がして、少し作った感があるんだけど…。(おとう)
☆でも、これは実際にあったことで、「オオタニ」(註:ねねの下宿の近くにあるスーパー)に買い物に行った時に、田んぼからスーッと鴨が飛び出して、ねねの上をすれすれに飛んでったんだよね。「ええっ、鴨」って思って、ちょー怖かったんだから。(ねね)
★それは大変でしたねえ(笑)。(つう)
★そうなんだ。句材としては面白いと思うんだけどね。「春雨をまとって猫は突進す」は、ままいも言ったようにコミカルな感じで、アニメっぽい映像が浮かんできました。ちょっとスローモーションみたいに、大きな雨粒を弾きながら、顔を前に突き出して走ってくる猫の姿が思い浮かびました。「菜種梅雨父と同時に欠伸をす」は、「と」「に」「を」って助詞が多いので、ちょっと散文的で、説明・報告的なのかな。下五は「欠伸する」でいいんじゃないかな。(おとう)
☆最初はそうしたんだけど、そうするとリズムがスーッとしすぎて何かつまんなかったんで、「欠伸をす」ってしたんだけどね。(ねね)
★「春驟雨いつも通りに餌をやる」は、おとうは「いつも通りに」は気にはならなかったんだけど、季語の「春驟雨」が、こんなに雨が降ってるけれど「いつも通りに」っていうように理屈っぽくつながるような気がして取りませんでした。「父の背を借りて句を書く夜半の春」は、さっきねねがそうしてたから我々はみんなわかるけど、一般的には、「どういうこと」って感じじゃないのかな。例えば「父の背に指で字を書く」っていうのなら分かるじゃない。(おとう)
☆誰が書くのよねえ、やだー、気持悪い(笑)。(ねね)
★そうじゃなくって(笑)、でも、面白いことは面白いと思うけどね…。(おとう)



続いてはままいのです。

★つうは、「野良猫は瞑想の態春驟雨」を特選に取りました。猫が眠っているのか、じっとしているのか、その「瞑想の態」という表現が面白いと思いました。「逝く春のチャンネル意味もなく変へて」は、「逝く春」の季語と、「チャンネル意味もなく変へて」のボーっとしている様子が合っていると思いました。「夏近しレモンキャンディー透きとほる」もちょっと良いかなとは思ったんですが、取るまでではありませんでした。「黄砂降る午後の予定は人まかせ」は、「逝く春の」の句と同じような感じがしたんだけど、こっちの方が「黄砂降る」の季語が合ってないように感じました。「たて続けに電話来る八十八夜」と「アロマオイル一滴の間も聖五月」は、どちらも季語が良く分からなかったので取りませんでした。(つう)
☆ねねもつうと同じで「「野良猫は瞑想の態春驟雨」が特選です。つうも言っていたけど「瞑想の態」という響きが好きだったのと、「春驟雨」の季語も「野良猫の瞑想の態」に良く合っていると思いました。よって、今回の席題大賞はままいに決定いたします(笑)。(ねね)
☆わーい、いただきました(笑)。(ままい)
☆「夏近しレモンキャンディー透きとほる」は、もしかしたらこういう発想はありがちなのかなとは思ったんですが、季語を「夏」じゃなくて「夏近し」としたのが、いかにも「レモンキャンディー透きとほる」に合っていると思いました。「逝く春のチャンネル意味もなく変へて」も好きだったんだけど、ままいの句にはありがちな感じがして、新鮮味がなかったし、「黄砂降る午後の予定は人まかせ」の「人まかせ」もそんな感じで、今までに作った「人まかせ」シリーズの方が良かったかなって思いました。「たて続けに電話来る八十八夜」は、「たて続けに電話来る」は面白かったんだけど、いかんせんリズムがあまり好きではなく取りませんでした。「アロマオイル一滴の間も聖五月」は、やっぱり「聖五月」が分かんなくって取れませんでした。「聖五月」って何?(ねね)
☆そう言われると確かに難しいね。なんて言うか雰囲気で、語呂が良いから使っちゃったって感じで…(笑)。(ままい)
☆そうなんどろうけど、その「聖」を付けるところが分かんなくて、「五月」でいいんじゃないかなって…。(ねね)
★そうだね、「聖五月」って説明しろって言われると難しいよね。歳時記(講談社『新日本大歳時記』)によると、「カトリックではこの月(5月)を「マリア月」「聖母月」と呼ぶことから、「聖五月」という言葉が、俳句でも使われるようになってきた。」ってあるけど、「五月」っていう季語に、爽やかさや清涼感を含んだような言葉なのかな。ままいのように雰囲気で使ってる人が結構多いんじゃないかな。おとうは、「夏近しレモンキャンディー透きとほる」が特選です。これが一番素直で、明るさもあって、ねねが言ったように「夏近し」の季語も効いているかなと思いました。「黄砂降る午後の予定は人まかせ」は、「黄砂降る」自体が自分ではどうにもならないんで、後の「人まかせ」と重なっちゃうんだけど、それほど気にならなかったのでいいのかなって…。そして、「アロマオイル一滴の間も聖五月」は、例の「聖五月」だけど、それこそ雰囲気として「アロマオイル」の「一滴」と合ってる気がして取りました。ただ、「一滴の間も」の「も」は気になって、「の」でいいんじゃないかな、或いは「一滴落とす」とか…。つうとねねが取った「野良猫は瞑想の態春驟雨」は、言葉としては格好いいのかもしれないけど、「瞑想の態」がちょっと理屈っぽい気がするかなあ。「逝く春のチャンネル意味もなく変へて」は、季語の「逝く春」が季節の変わり目で、それで「チャンネル」も変えるとなると、違った季語の方がいいんじゃないかな。「たて続けに電話来る八十八夜」は、ねねの言ったようにリズムの問題かな。(おとう)

  

最後はおとうの句です。

☆それではみなさん、辛口でお願いします(笑)。(ねね)
★つうは、「熊蜂の虚空平たくありにけり」を特選にとりました。「平たく」っていうんで、「熊蜂」が結構低いところで飛んでいる感じが出ていて、情景が分かるので取りました。「髪型を手櫛で変ふる憲法日」は、おとうがさっきやってたからっていうのもあるんだけど、「手櫛で変ふる」っていうのが具体的でいいかなって思いました。「黄昏の桜桃青き実を濡らす」は、「青き実」がよくよく考えれば分かるんだけど、直感的に真っ青な実が浮かんで来ちゃって…(笑)、「満開の藤満開の影揺らす」は、「満開」の繰り返しがうるさかったし、「いまし過ぐる川沿ひの街春驟雨」は、「いまし過ぐる」が分かりませんでした。(つう)
★「いまし」は、「今」+強意の助詞「し」で、「たった今」「今まさに」って、「今」を強調してるんだよ。(おとう)
★何だかんだ言っても、分かんなかったらダメです(笑)。(つう)
☆ねねもつうと全く同じ取り方をしました。特選の「熊蜂の虚空平たくありにけり」は、「虚空」っていうのがまず格好よかったし、「熊蜂」が縄張りを守ってずっとぐるぐる同じ所を飛んでいる様子が、確かに「平たく」って感じだなって思いました。そして、一句の半分以上をその「平たくありにけり」って表現していることで、よりその「平たさ」が強調されている感じを受けました。「髪型を手櫛で変ふる憲法日」は、あの何回も髪をくしゃくしゃしていたのは句を作るためだったのかとちょっと思ったんだけど(笑)、でも何ていうことはないワンシーンを「憲法日」っていうちょっと畏まったような重い季語にくっつけたところが良かったと思いました。「黄昏の桜桃青き実を濡らす」は、ねねはちゃんと緑色の実だっていうのはわかったんだけど(笑)、何でかって言われてもわかんないんだけど、そんなに惹かれなかった。「満開の藤満開の影揺らす」は、つうも言ってたけど、「満開」を二度使った効果があまり出ていない気がして、リズムもあまり好きではありませんでした。「いまし過ぐる川沿ひの街春驟雨」は、かえって「し」で強調してリズムを崩しちゃったのが良くなかったんじゃないかと思いました。(ねね)
☆ままいも特選はみんなと同じで「熊蜂の虚空平たくありにけり」で、この句は見た瞬間に特選にしました。おとうは良く「平たく」を使うんだけど、でもいつも使う「平たく」は自分だけが思ってることが多いんだけど、この「平たく」は万人に通じて、「ほおなるほど」って、その情景を良く表現したなって思ってもらえる「平たく」だと思って、今までの中で「平たく」大賞だと思って(笑)、いただきました。「いまし過ぐる川沿ひの街春驟雨」は、春のスコールみたいのにままいは酷い目にあったので、「いまし」の「今」の強調は私の中では共感出来ました。「黄昏の桜桃青き実を濡らす」は、ねねが言ったように形は出来ているかもしれないんだけど、作者の独自の発見みたいなものがあまり感じられなかったので、「満開の藤満開の影揺らす」もやっぱり「満開」を繰り返した効果が上がってないと思ったし、「髪型を手櫛で変ふる憲法日」は、ままいには「憲法日」がしっくりとしなかったので取りませんでした。(ままい)
★「春驟雨」の句は、ままいの解釈とは違うみたいだけど、「いまし過ぎた」のは作者で、「春驟雨」ではないよね。(おとう)
☆ねねもそういうふうに取ったよ。(ねね)
★でも、そのあたりにまだ曖昧性があるんだろうね。それに、ままいの言うように「いまし過ぐる」は「春驟雨」の様子とも重なっちゃってるしね。まだまだ推敲しろってことで、今回はこれにて終了です。お疲れ様でした。(おとう)




(c)naomi sanuka


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