第89回 2011/11/24

  高濱虚子の100句を読む     坊城俊樹



   映画出て火事のポスター見て立てり    虚子
        昭和十六年一月二十一日
        銀座探勝会、金春映画

 いよいよ『六百句』という虚子の句集からの作品。
 昭和の名役者、歌舞伎の中村富十郎(五世)は銀座七丁目に祖母の家があり、その近くに金春映画館があったという。その縁で小さいころから漫画映画やニュース映画をよく観ていたらしい。
 その逸話とこの句の因果関係はさだかではないが、このときの姿が彷彿としてくる。その映画を観終わって出てくると、火事のポスターがあり、江戸の火消しみたいなイラストがあったのではないか。
 どうもこのころには、トーキーになっていたようで、板妻や田中絹代の時代。いささが時代めいた話しだが、その余韻と火事のポスターを見ている少年のなんとも無意味な関係がおもしろい。
 すなわち、この句は意味や理屈の句ではないのである。仮に、このポスターを虚子が見ていたとしてもである。
 虚子は明治時代に碧梧桐たちにたいして、「ぼーっ」として「ぬーっ」とした句をもっと作れと言った。その典型的な句として筆者はいつもこの句をとりあげるのだが、このように意味を追わない句というものは実に新鮮に感じる。
 もっとも、このポスターの火事が季題として生きているかは疑問のあるところ。現実の火事でなく、言葉だけの火事でよろしいのか。
 むろん、火事が頻繁におきている季節で、なおかつ銀座の風景には火事がよくありそうなのだが。
 山本健吉は虚子の句をして痴呆的と言ったらしいが、まさにこの句は痴呆的で無意味的であることで虚子の代表句としてみてもよろしいかと。
 その意味で、この句こそ今の伝統俳句のみならず現代俳句の範として今一度見直す必要があるのではなかうか。
 蛇足、
 
  丑三つの厨のバナナ曲るなり    俊樹

 この句も実はその路線の延長にあると本人は息巻いているのだが、はたしていかがなものであろうか。
 
 

(c)Toshiki  bouzyou






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